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2014年4月26日土曜日

【衆院補選】今朝の毎日新聞は「二強」候補の主張のみを報じ、有川美子候補を言外に「当選圏外」と報じた

☆鹿児島2区補選:与野党対決、27日投開票 (毎日新聞)

http://mainichi.jp/select/news/20140426k0000m010145000c.html

https://web.archive.org/web/20140426083232/http://mainichi.jp/select/news/20140426k0000m010145000c.html

金子氏は安倍政権の経済政策を前面に出して「地方の隅々まで効果を行き渡らせる」と強調し、打越氏は選挙の発端となった「政治とカネ」の問題に争点を絞り「金権政治を断ち切ろう」と主張。

両氏の争いは接戦の様相を見せており、各党とも党幹部を連日投入して総力戦を展開している。



《歴史メモ》

☆三木武夫

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E6%AD%A6%E5%A4%AB#.E7.BF.BC.E8.B3.9B.E9.81.B8.E6.8C.99.E9.9D.9E.E6.8E.A8.E8.96.A6.E3.81.A7.E3.81.AE.E5.BD.93.E9.81.B8

また三木の選挙戦について地元紙の徳島毎日新聞はほとんど報じることがなかった。

(略)

このような厳しい情勢下、三木は徳島二区の全域で議会報告演説会を開いて有権者と膝づめの対話を繰り返し、山間部では支援者の家に泊り、戦死者家族の弔問を行うなど、約一ヶ月間の選挙戦の間、民衆の心を直に感じ取っていくような地域に密着した選挙戦を徹底的に行った。

(略)

1942年(昭和17年)4月30日の第21回衆議院議員総選挙で、三木は秋田清、三木与吉郎に次いで三位に滑り込み、当選を果たした。

(略)

翼賛選挙において翼協非推薦候補の当選率はわずか13.8パーセントに過ぎず、三木は翼協非推薦の苦しい選挙戦を、地域に密着した選挙活動を中心とすることによって勝ち抜き、政治生命の危機を乗り越えた。そして戦後、翼賛選挙非推薦での当選は三木の勲章となっていく。



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